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東京〜横浜研修旅 (2日目:横浜)

1日目からの承前


翌日はまず赤坂へ。ベルギービール輸入の大月酒店の試飲会に参加しました。XXXビターなど、デ・ランケ醸造所の5種類の樽ベルギービールのお披露目でした。
ベルギーにも、アメリカン・ホップの波が押し寄せています。というよりも、21世紀になってからできた新しい醸造所は、アメリカ市場向けに積極的にホップの強いビールを造っています。10年前くらいには「麦芽」「瓶内熟成」が特長だったベルギービールも、また音を立てて変わりつつあります。

店内では、仙台のベルギービールの名店「ダボス」のマスターご夫妻と一緒になりました。ダボスももう20周年だそうで、さすがその間に蓄積されたご見識を伺って、いろいろと勉強になりました。ここでは、大月酒店の沖さんとついに会えたばかりか、ビアジャーナリストの川端さん、池田さん、ほかにもいろいろな方とご挨拶ができました。


その後、横浜へ移動。第2の目的「JAPAN BREWES CUP FESTIVAL」に参加してきました。


 とても暖かく、表で飲んでも寒くありませんでした。

ここでは、札幌のビアフェスでお世話になったあくらビールや、コバツトレーディング、AQベボルーションの方々と再会したほか、新しいところ・方々ともたくさんお話ができました。
道外のビアフェスに参加するのは、もう10年以上ぶりだったかもしれません。関東のクラフトビールムーブメントを肌で体感できて、とても勉強になりました。札幌は「まだまだ」ですね(まだまだやれることがいっぱいある、という積極的な意味です)。


仏像が好きで鎌倉へはよく行っていたのですが、横浜は意外と素通りしてました。歴史が詰まったいい街と改めて実感。

夜は横濱Cheersへ。マスターの堀川さんとは、札幌にいらっしゃったときにちょっとお会いしたのですが、そのときのことを覚えていてくださったのがうれしかったです。


カラハナも「社員旅行」でした。こっちへ来てもいつもの顔ぶれ(笑)。


横浜はすごいですね。「日本のビールの首都」という自分のキャッチフレーズが、すでに実現されている感じです。キリンビールが主導となって、横浜市も絡んで、ブルワーもインポーターもあり、ビアバーもたくさんの名店があります。正直なところ、札幌は大きく水を開けられているような気さえしました。もっと頑張らねば。

前篇でも書いたように、東京から札幌へ来てからというものほとんど道外へ出られなくなり、内弁慶というわけでもないのですが、全国のいろいろな方やお店のことを知らずにいます。今回もようやくお会いできた方々がたくさんいらっしゃいました。そんな方々とお話して、ビールについて改めて「わかった」ことも多かったです。初心に帰ることもできましたし、とても実りのある「旅」でした。
「井の中の蛙」になっているつもりはないのですが、人間たまには旅に出なければいけませんね(お金がないだけなんですけどね^^;)。この2日間の経験は、今後お店にも活かされていくと思います。

(※文中、自分がタグ付けされていた写真をお借りしました)
 

東京〜横浜研修旅 (1日目:東京)

土日でお休みをいただき、東京〜横浜へ研修へ行ってまいりました。




自分の実家は葛飾区新小岩なのですがなかなか帰省できる機会がなく、札幌に移住して15年間で数回程度しか東京へ行けていません。今回は1年ぶりの東京で、そのときでさえ3年ぶりの東京でした。自分の中で東京の記憶は15年前で止まっているといっても過言ではありません。今回も宿泊こそ実家でしたが、ほとんど「研修」といっていい旅程でした。

 羽田空港4階ではイエーバーの樽が飲めた

まずは今回の目的のひとつであった、ビール検定1級合格者の新年会へ。会場は五反田の「クラフトマン」でした。



「30タップ飲み放題」という夢のような時間の中で、合格率4%の難関を突破した1級保有者の方々と、どっぷりと話し込みました。昨年は初対面ということもあり少し硬い雰囲気だったのですが、今年はみんなすっかりと打ち解けて、楽しく飲みました。ぜんぜん難しいことを話しているわけではありません。うまいビールの前では、みんな単なる呑兵衛なのです。


その後、所用を挟んだのち、大崎のアイリッシュパブ「シャノンズ」で合流。ご一緒してくださった、びあけん顧問(ヱビスビール記念館館長)の端田晶さんが、実は「キルケニー」の輸入をした張本人だった(以前はサッポロビールの輸入)という話を聞きながら、アイリッシュビールに舌鼓を打ちました。

端田さんとは帰りの方向が一緒だったので、寄る予定だった両国ポパイにお誘いしたところ、快諾。二人で行きました。
もはや「聖地」とも言われるポパイは、自分がビールを学んだ思い出深いお店です。まだ10タップ程度しかなかったころに足繁く通い、マスターの青木さんから直接薫陶を受けました。青木さんは、言ってみれば私の「師匠」なのです。最近お忙しいので会えることは期待していなかったのですが、幸運にもいらっしゃっいまして、久々の対面を果たしました。「札幌で頑張ってます」と伝えるとなんとも嬉しそうに笑ってくださいました。

そして、ポパイのカウンターで端田さんと二人でビールトークをするという、至福の時間。中でも端田さんが仰った「日本酒は"ビール"である」という知見は、今回の旅でも最も大きい"収穫"だったかもしれません。

「もはやビールというのは麦芽をスターターとする醸造酒だ」という私の意見から、端田さんがこう仰ったのです。「いや、もう一段深く行ける。明治のころ、はじめて日本酒を飲んだヨーロッパ人は、『これはビールだ』と言ったという。つまりヨーロッパ人にとって、果実から作る醸造酒がワイン、穀物から作る醸造酒がビールなんだ」ということです。…深すぎる。聞いていて、ビールの本質にしっかりと触れた感触がありました。ここまでのことを仰れる方は、そうそういらっしゃらないでしょう。

(考えたら、一緒に写真撮るの忘れてた…orz)

そして端田さんと別れて、実家の新小岩へ。まっすぐ帰るはずがなく、モルトバー「フストカーレン」へ。ここは、オールドボトルだけを扱っているという特異なバーです。



 グレングラント8年の1970年代流通
 ロングモーンの1970年代流通
 G&Mの1964年製マッカラン
 ブラントン(バーボン)のファーストバッチからサードバッチまでの飲み較べ

そもそも自分が「酒」の美味しさに目覚めたのも、18年前にたまたま実家の近所にあったこの店に通いはじめたことからでした。酒のことを知れば知るほど、どうしてこのクラスの店が新小岩なんかにあるのだろう?と不思議でなりません。

当店が「ビール専門店」だけではなく、「モルトウイスキーの専門店」でもあるのは、この店の影響です。というより、たぶん多くの方が「誤解」していると思うのですが、自分はビールよりも先にウイスキーにハマって、酒の奥深さを知ったのでした。決して「片手間」でウイスキーをやっているわけではないのです。

ここは自分の原点にして頂点です。ここへ来て、自分がどうしてこの世界に入ろうと考えたのかを、まざまざと思い出しました。どうしてこの店が新小岩にあったのかといえば、それはきっと「運命」だったのでしょう。

初心を思い起こして、1月とは思えないあたたかい夜風にあたりながら実家へ帰りました。

2日目へ続く

HIGURASHI ありがとう



この年末、札幌の名店が7年の歴史に幕を下ろしました。南5西2のビアバー、ご存知「HIGURASHI」です。

まだ自分がPaul's Cafeで働いていた時。隅のテーブルに陣取り、話し合いながら一生懸命メモを取っている若者二人がいました。「あの二人、ビアバーでもやるんですかね?」と店主のポールと話していたのを覚えています。その後、リアルエールを置く店が札幌にできた、という話を聞いて行ってみると、やっぱりその時の二人 がいました。千田さん兵藤さんの二人と話をしたのはそれが初めてでした。

その店を見てまず湧きあがった感情は「嫉妬」。自分がやりたくてイメージしていた店を、完全に実現されてしまいました。できればお客ではなく、カウンター の中に入りたかったと思いました。もちろんその当時は、自分に独立できる余裕も算段もありません。嫉妬は共感に変わり、あっという間に常連に成り果てたの は言うまでもありません。

「メニューを固定せず、タップのビールを次々と繋ぎ替える」というシステムのビアバーは、札幌ではHIGURASHIが先駆でした(麦酒停はまだその当時 1タップでしたし、Paul's Cafeも基本は固定銘柄でした)。そのスタイルのビアバーは、東京ではだんだん浸透してきていましたが、札幌でもうまくいくのかどうかは、その当時はもちろん未知数でした。なにせ物流が安定していない。酒屋を経由すればそれなりのマージンが発生してしまうから、醸造所から直接送ってもらわなければならないけれど、札幌という「僻地」からいかに全国の醸造所と連携を取るのか。空き樽はどうするのか。次の樽を冷やすスペースはあるのか。こんな風に数多くの ハードルがあり、なおかつその答えを誰も知らない状態。それを、ひとつひとつクリアしていった努力は、まさに「パイオニア」の名に値します。

その後、兵藤さんは、初期のころから言っていたとおりに知床のホテル業へと進みますが、西脇君がそのあとを見事に引き継ぎ、一層の人気店となりました。クラフトビール、いやビールの楽しさを札幌に広げたお店です。この店の礎の上に、当店も乗っかっています。

「HIGURASHI」という場はなくなりましたが、その精神は、当店をはじめいろんなお店に引き継がれています。「ビール専門店」がだんだんと浸透してきたこの札幌で、その業績はいつまでも語り継がれていくことでしょう。本当にお疲れ様でした。

千田さんは南1条西12丁目の酒販店「Beer Cellar Sapporo」から新たなステージに踏み出します。そちらの応援もぜひ!

「ウイスキー検定対策講座」を受けてきました

今日は「ウイスキー検定対策講座」を受けてきました。
この世界の日本の第一人者、土屋守氏直々の講義でした(サイン本をねだるミーハー者^^)。




土屋氏は「マッサン」のウイスキー考証もなさっているので、ドラマの「裏話」も合間合間に聞けて、とても楽しかったです。

マッサンはどのウイスキーを飲んでウイスキーにハマったのか? 1920年代に「シングルモルト」ということはありえない。当時の銀座のホテルのメニューを遡ってみると20種類程度のウイスキーがあるのだが、それはぜんぶ「ブレンデッドウイスキー」。しかし当時はブレンデッドに使われたキーモルトなんてトップシークレットだったから、特定のシングルモルトを飲んでその蒸留所の門を叩くということは絶対にありえない!(のでそういうシーンにはしないように)、という話が面白かったです。


ところで「資格マニア」とチラホラ言われていますが(笑)、資格を取るのが目的ではなくて、その過程で得られる知識が目的なのです。だから別に受からなくてもいいの(でもやっぱり受かりたいけど)。

ウイスキー検定本番は12月7日(日)、申し込み締め切りは11月6日(木)です。
http://www.kentei-uketsuke.com/whisky/



 

ラガーとエールの違い(記事紹介)

「日経トレンディ」の記事を紹介します。

「ラガー、ピルスナー……クラフトビールが注目される今、覚えておきたい“ビールの分類”」
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20140911/1059966/

「自然発酵ビール」のオススメは「ブーン・グーズ」である、ことを除けば、とても優良な記事です。(「カンティオン・グーズ」は素晴らしいビールですが、ランビック嫌いを生みやすいので、当店ではランビックが初めての方には絶対にお出ししてしません)

とくに2ページ目以降、COEDOビールの植竹氏のインタビューは大変面白いです。ビール分類の基本であり、当店でもよく説明する「ラガー」と「エール」の違いが、造り手の視点から正確に語られています。

最後の方で、「ラガーとエールの境目は実は非常にあいまいです」と仰っているのは、さすが!としか言いようがありません。
当店では扱う機会が少ないのですが、COEDOビールはまぎれもなく日本のトップブルワーの一つだと思っています。


ニッカ・余市蒸留所見学



昨日、「<スコッチ文化研究会>札幌支部」の大人の遠足に参加して、ニッカの余市蒸留所へ行ってまいりました。
余市の蒸留所見学は今年3回目、通算するともう20何度目かです。

今回は、「スコ文研」の特別拝観で、杉本工場長自らのご案内付でした。「通算20何度目」と書きましたが、それだけ来てもこれまで一度も入れなかったところへついに!入れまして、個人的には感涙モノの工場見学でした。

ウイスキーの製造工程はある程度ご存知であることを前提に、以下記します。また、これはあくまでも「特別」なもので、通常の見学コースではここまでは見学できないことをあらかじめお断りしておきます。

まずは、通常では入れない「貴賓室」(正門の真上にある)でニッカの歴史を聞くところからスタート。来週(2014年9月)からスタートするテレビドラマ「マッサン」は、この創業者・竹鶴政孝の伝記をベースとしています。

正門をくぐってすぐにあるキルン塔(後述)の写真は数ありますが、このアングル(上)の写真は珍しいと思います。
元、重役会議室だったというこの部屋には、数々のお宝があります。中でも面白かったのは、南極条約締結前に観測隊の人から寄贈されたという南極の石(現在は条約の規定で、南極の一切のものを持ち出すことが禁止されています)。かつて南極でも飲める(凍らない)ウイスキーが欲しい、というリクエストで開発をしたお礼だそうです。実際に50%を超える度数のウイスキーを製造したのだそうです。
これを撫でると「難局」を乗り切れる縁起物だそうです。



そしてヘルメットを被り、工場見学へ。

まずは入り口そばにある、ウイスキー蒸留所のシンボルである「キルン塔」(乾燥棟・最初の写真)。麦芽をピート(泥炭)で乾燥させてスモーキーな香りを付ける施設で、ヘビータイプのウイスキーを作る余市蒸留所には欠かせない場所です。
今は麦芽自体がスモーキーに出来上がったものを使っているため、この施設はもう基本的に稼働しておらず、年間30回程度しか動かないそうです。そのため、これまで何度来ても入れないところの一つで、ここに入るのが一つの「夢」だったのですが、ついに念願叶ったという次第です。

内部は真っ暗だったので、写真はないです。とても狭く、これは見学コースに含めるのは難しいな、と思いました。中は煤煙の香りで充満しています。壁も煤だらけ。稼働していると、服に着いた臭いが丸1日抜けないそうです。ピートの現物もあって、実際に触らせていただきました。
今回は石炭をたく1階部分のみの見学で、実際にピートを焚きつける、上層の乾燥部屋には入れませんでした。残念ではありましたが、まぁ生きているうちに一度は入れるのではないか(笑)。というか、まだ未知の部分を残しておきます。だから何十回来ても、ここは見飽きることがないのです。

続いて破砕室と糖化室。前者で麦芽を破砕し、その破砕した麦芽をお湯に漬けて甘い麦汁を取ります。ここで糖化する麦汁を見るのはたしか2度目(相当昔は、らせん階段のところから見学できた)ですが、内部まで見たのは初めて。今は三番麦汁を作っているところでした。ビールのインフュージョン法のような複雑な温度管理はせず、67度程度をキープするのみ、だそうです。
ただし「清澄」な麦汁であることがとても大切で、濾過して出てくる麦汁も、最初の濁った部分はまた槽に戻して取り直すのだそうです。



隣にガラスで仕切られた部屋があり、そこは酵母室。培養中の酵母も窓越しに見学。糖分の食い切りが良い、専門のディステラリー酵母だそうで、独自の酵母バンクも持っているそうです。

建物を移り、発酵槽へ。甘い麦汁に酵母を添加し、アルコール発酵を行います。この発酵タンクはいつもはガラス越しですが、今日は内部に入れて見せていただきました。大きなタンクが10数本。30℃前後で5日間発酵。度数は7〜8%。「もろみ」は甘みと酸味がある味となるそうです。



そして蒸留所の心臓部、蒸留機。しめ縄のついたポットスチルの写真はネットにもゴロゴロありますので割愛します(笑)。(「余市 ポットスチル」で画像検索してください)

ここの最大の特徴は、石炭で加熱すること。本場スコットランドでも全廃され、世界的に大変貴重なポットスチルです。ただし「世界唯一」かどうかは不明とのこと。なぜなら、インドあたりにもしかしたら残っているかもしれないが未調査(調べさせてくれとお願いしているがウンと言われないw)とのことでした。



そのほか、これまで蒸留所へ来てもわからなかったことを、ここぞとばかりに訊きまくってきました。
木樽は現在栃木工場で作っていて余市では修繕とリチャーしかしないこと、竹鶴像の向こう側に立っている高い細い塔が給水塔であること、開放されている1号貯蔵庫の樽の中は安全のため空にされていること。このあたりは通常の見学ではわからない事柄だと思います。

最後はもちろん、試飲。無料試飲上の下の「応接室」での試飲でした。
ここで出されたのは、「未熟成(0年)原酒」「余市ピーティ&ソルティ」「余市シェリー&スイート」「余市ウッド&バニリック」「竹鶴21年」の5種飲み較べでした。

未熟成(0年)原酒(ニューポット)を久々に飲みました。少なくとも今年GWまではまだ販売していたのを見たのですが、見学来場者が急増し、現在は販売停止しています。
数年前に飲んだ時は、未熟成の焼酎っぽいというかキツイだけのアルコールという印象が強かったのですが、今回は果実香が印象的で、加水すると麦芽の味も優しく感じられる味わいのあるお酒となっていて、とても「あぁ、やっぱりウイスキーの原酒だなぁ」という感じがしました。原酒自体の味も日々向上しているのですね。これが10年後どういうウイスキーに化けるか、ということを考えただけでワクワクします。

竹鶴政孝は、「環境がウイスキーを作る」という信念の元、自分が修業したスコットランドに気候・風土が似ているこの余市を選んで、蒸留所を造りました。ちょうど80年前のことです。私もスコットランド・アイラ島へ行ったことがありますが、たしかにかの地(とくに竹鶴も修業したキンタイア半島の風景)は、北海道と似ている雰囲気がありました。そんな風土を肌で体験できる余市の蒸留所見学は、日本でウイスキーを飲むうえで極上の楽しみのひとつなのではないか、とさえ思います。

 
ところで先日、3代目マスターブレンダーである佐藤茂夫氏のセミナーに参加した時に知ったのですが、ウイスキーの生産量は1983年(昭和58年)がピークで、実は今はピーク時の4分の1程度の生産量なのです。発酵槽も、「昔は24時間フル稼働だったが、今は1日1仕込み」と仰っていたのが印象的だったのですが、逆に言えばまだもっと稼働できる余地はある、ということですね。

もちろんウイスキーは最低3年以上の年月がかかる(実際にはもっとかかる)ので、ビールのようにはホイホイとできないのが痛いところではあります。さらに、これから起こるはずの「ウイスキーブーム」で在庫がなくなり、変なプレミアム化などを生まなければいいな、という心配もありますが、それでも今後ウイスキー好きが一層増えてくれればいいなと思います。

というか、道民はもっとニッカを飲みましょうよ! もちろん当店で!(^o^)
 

ビール検定直前対策 議事録

9月14日(日)に開催したイベント「直前対策!ビール検定 〜その傾向と対策(笑)」で、参加者の方が内容を書き留めていただいたので、公開します。

■ビールの歴史;世界史>
<古代>
メソポタミアでビール誕生
北に伝播 → ヨーロッパ
南に伝播 → エジプト

<中世>
ホップではなくグルート
修道院で12世紀ごろからホップ使われる

バイエルンの「ビール純粋令」
法律でホップを使うことが記される
この法律でいわれる前のビールの副原料は「グルート」だった。

イギリスのビール→大量生産への礎
この頃の技術はイギリス中心に進む
(発明した時系列に並べよという問題が結構出てくる)

<近世>
1873 リンデのアンモニア冷凍機
1865ー1876 パスツールの低温殺菌法
1883 ハンゼンの酵母純粋培養法 カールスバーグ研究所 カールスバーグとシュパーテン
1842 ピルスナービールの誕生<ピルゼン>

ラガーの長所→場所に関係無く安定した品質で製造できる。

■ビールの歴史:日本史>
<創世記>明治時代
最初に作ったとされている 川本幸民(蘭学者) 「幸民ビール」(小西酒造)として復刻
スプリングバレーより先に「ジャパンブルワリー」1869年 最初のビール会社 しかし、数年でなくなる
日本人経営者による最初のビール しぶたに(渋谷)ビール

京都・舎密局(きょうとせいみきょく)
スプリングバレーは15年ぐらい→更地になる→そこからジャパンブルワリーを作る(のちのキリンビール)出資者外国人
外国資本なので販売出来ず、明治屋が販売することになる

明治9年 開拓使が札幌に官営麦酒醸造所
村橋久成→意見書提出 札幌で作るべきだー
醸造技師の中川清兵衛はドイツで技術を学んだ。ただ当時の最新の冷蔵技術(いわゆる三大発明)は学んでいなかった
マックスポールマン→中川を追い出した
大倉組に払い下げ→ホテルオークラでお馴染みの大倉組 明治19年

吹田はアサヒビールの発祥地<日本初のブラウマイスターによるアサヒビールの誕生> 生田秀(いくたひいず)バイエンシュテファン
<大手創業期>明治20年以後
明治20年 目黒区三田に日本麦酒(ヱビスビール)
馬越恭平が建て直す。東洋の麦酒王 日本初のビアホール
三社合併 大日本麦酒(シェア70%)

明治期の「地ビールブーム」全国各地に100か所以上の醸造所

ユニオンビール
兜ビール ミツカンの前身
オラガビール サントリーの前身壽屋

<戦後>
昭和12年頃 最低醸造量の増加→ 大日本と麒麟の二者体制
昭和22年 大日本ビール解体 アサヒとニッポン(のちサッポロ)
麒麟は逆にイメージup シェア60%

<現代>
1994年の地ビール解禁200kl→60klに引き下げられた
第一号 エチゴビール免許番号2番販売1番とオホーツクビール免許番号1番
発泡酒
サントリー ホップス
第三のビール ドラフトワン(えんどう豆のタンパク)


■製造の問題
酵母と酵素が混ざる → 「酵母」は生き物 酵素は化学物質
「アミラーゼ」 でんぷんを糖に変える 酵素
「プロテアーゼ」 タンパク質をアミノ酸 に変える酵素


付録)当日配ったレジュメの内容
------------------------------------------------------------->
ビール検定直前対策!! 2014.9.14@Maltheads
■参考文献
『ビールの科学』(講談社ブルーバックス)
『ビールの図鑑』
『日本のビール 面白ヒストリー』
『ビールの世界史こぼれ話』

■大事なところ
・原料
・製造工程
・酵素と酵母の違い
・アミラーゼ(デンプン→糖)とプロテアーゼ(タンパク質→アミノ酸)、
・世界史 古代(メソポタミア・エジプト)→中世(ヨーロッパ)→近代(ドイツ・イギリス)→現代(アメリカ)
・日本史 黎明期→明治初期→明治20年代→大合同〜戦争→戦後・4社→地ビール解禁と発泡酒

■勉強法
・インデックスで用語をチェック
・「コラム」からが意外と出る(雑学問題)
・過去問

■出そうなところ
・ビアカクテル
・グラスの形
・初めての瓶ビールと缶ビール
・ビール(ラガービール)の3大発明
・「マイシェ」「ブルッフ」/「バッピル」「シカル」
・トラピストビール
・日本初のビール醸造者 →コープランドではない!
・一人当たりビール消費量

 

セゾンとは何か

アメリカのストーン醸造所のセゾン。
レモン、タイム、ラベンダーを使ったこのビールを飲むと「セゾン」というビアスタイルに対してアメリカン人が持っているイメージがわかるような気がします。

「セゾン」とは、ベルギー発祥のビアスタイル。フランス語で「季節」(Season)のことで、その季節は「夏」です。夏の農作業時に飲むために、冬の農閑期に農家が造ったビールが起源とされています。

色はライトからダークまで。苦味は軽いいものからキツいものまで。アルコール度数はローからハイまで。要するに「何でもあり」です。

元来は乳酸発酵をさせて酸味があるものが多かったようなのですが、今はスパイスを使うビールというのが共通見解のようです。
しかも、「アメリカン・セゾン」の場合は、どうもベルジャン酵母を使ったスパイスエール、という認識があるようなのです。

最近は、日本国内も含めいろいろな醸造所が造るようになり、リバイバルの気配があるセゾン。これからどのように発展していくか、楽しみです。

サントリー・プレミアム・モルツの「香るプレミアム」

恥ずかしながら、ビール歴10数年にしてようやく最近、ラガー酵母の味が感覚としてわかるようになってきました。

その感覚でサントリー・プレミアム・モルツの「香るプレミアム」を飲んで美味かった、という話です。ちょっと長いので、お暇なときにどうぞ。
(※お店では販売していません。これはエッセイです)



ラガー酵母は「スッキリとした味」と形容されるのですが、実際にはちょっと違う。実は、喉の奥に「触覚」に近い感じで引っかかる風味があります。これまでずっと、それを麦芽の味と切り分けができなかったのですが、しかしそれをやっと、酵母の味と麦芽の味を分けて感じられるようになってきました。さらに訓練すれば、ブラインドでも当てられるようになるのでしょうが、まだそこまではもうちょっと時間がかかりそうです。

さて、サントリー・プレミアム・モルツの「香るプレミアム」。上のような感覚で味わったときに、たしかにラガーの味がしません。まぎれもなくエールです。 エールは「香りが高い(フルーティな香り)」と言われますが、実は飲み込んだ後の味の残り方が、非常に「ドライ」(辛口という意味ではない)なのです。

このビール、おそらく所謂「ビールマニア」の間では、評価はあまり高くならないでしょう。「エールビール」のイメージや「香る」(酵母ではなくホップが香 る)という先入観があるからです。このビールの隣にある「グランドキリン・ジ・アロマ」の方が、そういう「エール観」から言えば、評価が高くなると思われ ます。

しかし自分は、この「香るプレミアム」は、非常に素晴らしいライトエールだと思います。これは、大手の技術力とエールビールとの 「幸せな融合」なのではな いか、と思います。飲みやすく、かつ、酒としての飲んだ充実感もある。正直なところ、このレヴェルでのエールを造れる日本のクラフトビールメーカーは、非 常に限られるのだろうな、と思います(もちろん、あそことかあそこならやってくれそうだけど)。

若芽のホップ

どことは書けないのですが、某所でホップの支柱立てのお手伝いに行ってきました。
収穫期のホップを見たことはありましたが、この若芽の時期のホップを見るのは初めて。まだ数十cmしかありませんが、ここから8月の収穫期のころまでに数メートルまで一気に伸びていきます。
若芽は剪定するのですが、アメリカの方だとピクルスにしたりもします。

なかなか自覚できる機会はありませんが、ビールづくりも農作業です。

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